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父の言葉とファシリテーション

私のファシリテータとしてのデビューは、出身地である大分県竹田市の、とある農村での地域おこしの話し合いでした。10人もいない、小さな寄り合いです。修士論文の調査対象地としていましたし、研究だけでなく実際に何かしら動きたいという思いがありました。

子どもの頃の遊びをお題に地域の資源マップをつくった回の帰り道。参加者でもあった父から「無理してもわかる」との感想をもらいました。盛り上げようとしたり、大げさなリアクションをしたりしても、二まわり以上年上のおいちゃんたちにはわかるし、なんとなく気恥ずかしいぞ、という意味合いだったと覚えています。

やー、そりゃそうだ!ガンバってたのが見え見えだったかも。肉親からみたらなおさらか!ということで、学んだこと↓

11)無理してもわかる:

これと関連して、青木将幸さんと研修をしているときに、彼が「ファシリテータの自己一致」について言及していたのを思い出します。わからないとき、混乱したときなど、変に取り繕ったりせずに、正直に参加者に接することができているか、というのは大事ですね。
この考えをさらに拡大して「組織(会議?)の自己一致」みたいな視点もあると思います。自己一致が必要なのはファシリテータだけではなくて、その会議の参加者全員。見栄や建前だけの話し合いになっていないか?ということ。

必要以上のプライドが「無理・取り繕う・見栄や建前のみの話し合いetc.」につながっていることも多いなあと思います。その必要以上のプライドを「解除」するには、「ユーモア」が一番の薬だと感じていますが、それはもう少し考えてまとめてみたいと。

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